2015年御翼8月号その2

『銀河鉄道の夜』と聖書 ――― 宮沢賢治

 『銀河鉄道の夜』は、宮沢賢治童話の代表作のひとつで、孤独な少年ジョバンニが、夢の中で友人カムパネルラと銀河鉄道の旅をする物語である。これは星の光でできた風景の中を走る物語で、宇宙旅行ではない。テーマは、「人間の真の幸せとはなにか」であり、二人は旅の中で出会う様々な人の中に次々と生きる意味を発見して行く。そして、「みんなの本当の幸いのために尽くすこと」に、生きる意味を悟る。『銀河鉄道の夜』で賢治が強調したかった言葉は、「幸福」ではなく、「さいわい」である。「さいわい」は、キリストの山上の説教の「悲しむ人は、幸いである」から来ているのだ。
 この作品は、一九三三年の賢治の死後、草稿の形で遺され、三回推敲が繰り返され、多くの造語が使われていることもあり、研究家の間で様々な解釈が行われている。(この作品から生まれた派生作品は数多く、これまで数度にわたり映画化やアニメーション化、演劇化された他、プラネタリウム番組が作られている。)宮沢賢治は法華経徒(法華経は、キリスト教を仏教的に焼き直したものと、久保有政先生は言う)であった。しかし、『銀河鉄道の夜』はキリストへの信仰を表す世界的大文学であると、JWCTUの全国大会にかつてお招きしたこともある富永國比古先生は、著書『「銀河鉄道の夜」と聖書』に記している。
 主人公のジョバンニは、夢の中で蒸気機関車が引く客車(花巻軽便鉄道がモデル)に乗って、白鳥座(北十字星)から南十字星ステーションまで、十字架から十字架への旅をする。宮沢賢治には、「数」に対する特別の思い入れがあり、作品の中の数字は重要な意味が隠されている。(但し、「数」そのものを神秘化したり、崇拝する呪術的な考え方はない。)例えば、「南十字(サウザンクロス)へ着きますのは、次の第三時ごろになります」と車掌がジョバンニに伝える場面あるが、マタイによる福音書には、イエスが十字架につけられた時、昼の十二時から三時まで、全地が暗くなったとある。
 また、賢治の作品には数字の「九」へのこだわりがある。『春と修羅』の構造は九章、『注文の多い料理店』は九編の童話で構成され、『銀河鉄道の夜』も九章でまとめられている。ギリシャ語で「ハレルヤ」(「主をほめたたえよ」の意)は九文字なのだ。   
 銀河鉄道には、青年たちが乗り込んでくる。彼らは自分たちが乗った船が氷山にぶつかって沈没して命を失い、天上に向かうために銀河鉄道に乗り込んだと語る。これは、賢治が中学生のときに起こったタイタニック号の海難事故に基づいている。『銀河鉄道の夜』の初期形(第二次稿)では、船が沈没するときに歌われた讃美歌の歌詞がはっきりと書かれている。「主よみもとにちかづかん のぼるみちは十字架に…」これは、十字架上のイエスの招きにより天上に召された人々の讃美歌でもある。それをみながらいろいろなa国語で歌ったという。賢治は使徒言行録にあるペンテコステの出来事を重ねているのだ。
 宮沢賢治の代表作「雨ニモマケズ」のモデルとなったのは、内村鑑三の愛弟子・斉藤宗次郎であった。また、賢治とは母方の縁戚となる島栄蔵は花巻バプテスト教会員で、島は賢治を教会に連れて行ったこともあり、キリスト教について多くを賢治に教えた。島は日曜学校で子どもたちに讃美歌を教える温かい人柄だったと、教会員が証言している。賢治自身も島から讃美歌を教わり、内村鑑三の『羅(ロ)馬(マ)書の研究』や『聖書之研究』、アンデルセンの童話まで島から借りて読んでいたという。賢治が好んで読んでいた新約聖書は、『ヨハネ黙示録』『ローマ』『マタイ』『使徒言行録』等であった。旧約では『イザヤ書』『ヨブ記』『エレミヤ書』『詩篇』などである。
 使徒言行録には、サウロ(後の使徒パウロ)の回心の記事もある。かつてクリスチャンを迫害していたサウロは、キリストと出会い、悔い改める。それを基に、賢治は「さそりの火」のエピソードを『銀河鉄道の夜』に入れている。さそりは小さな虫をたくさん殺して食べてきたが、自分の命の虚しさを知り、「みんなの幸いのために私のからだをおつかいください」と悔い改めの祈りを捧げる。すると、自分の身体が真っ赤な火となって燃え続け、やみを照らすようになる。銀河鉄道がサウザンクロスに着くと、イエスを思わせる人があらわれる。「ハレルヤハレルヤ」(賢治の表記は「ハルレヤ」)という皆の声が明るく楽しく響く。夢から覚めると、ジョバンニは、カムパネルラが川に落ちた子を助けるため、犠牲になったことを知る。
 『銀河鉄道の夜』の主人公は、イタリア語のジョバンニとカムパネルラであり、その頭文字はGとCである。それはイタリア語でのイエス・キリスト(ジェズ・クリストス)となり、二人の名には救い主の名が隠されている。
 イエスの十字架により罪が赦された喜びを知り、神と人に自分を与える人生が「幸い」なのだと賢治は作品で訴える。そして彼の生涯も、詩人・童話作家、農業指導者(農学者として、死亡する前日も、農家の肥料について相談を受けた)、社会活動家として、人類の「幸い」のために生涯を捧げた。

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